後藤真希さんの言行録 「中居正広の金曜日のスマたちへ」より(2010/7/23)

後藤真希さんの言行録
「中居正広の金曜日のスマたちへ」より(2010/7/23)


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後藤真希さんの言行録 「中居正広の金曜日のスマたちへ」より(2010/7/23)

番組では、
「金スマ波乱万丈」

中居正広さん「さぁ、今夜のお客さんなんですが、13歳の時に、普通の女の子から あるグループに入り、国民的スーパーアイドルになられた女の子です」

ナレーション「シングル総売上1158万枚。女性グループ歴代1位。あの、ピンク・レディー以来の 社会現象を巻き起こしたモーニング娘。その原動力となり、10年に一人の逸材と言われた、 後藤真希。そんな彼女に悲劇が襲った。今日から、ちょうど半年前の1月23日。 最愛の母、時子さんが自宅さん外の窓から転落死、亡くなった。いったいなぜ。世間は騒然とした。 」
後藤真希さん「音がして、どんって聞こえて。その場にいたのは私だけだし。すごい自分責めますしね。」
ナレーション「その時彼女は母の目の前にいた。母が最期にいたのは、服役中の弟、ユウキの部屋。そこで一体何が起きたのか。母の 転落死の真相とは・・・。そして、実は父親(勝一さん、享年43歳)も真希が小学校の時に、山から転落死して 亡くなっていたのだ(1996年10月28日)。その現場にいたのは、弟のユウキだった。母は娘の目の前で、 父は息子の目の前で、ともに転落死という、あまりに悲しい事件の連鎖は、なぜ起きてしまったのか。そして、 弟、ユウキの逮捕」
後藤真希さん「明日、朝いちで自首しに行くことを同じ家にいる時に言って、なんか、どうしようみたいな 感じでしたけど。何やってんの?と思って」
ナレーション「その時、彼女は何を思ったのか。そう、私は知らなかった。きらびやかなステージで活躍してきた 彼女の本当の素顔。大黒柱であった父を亡くし、幼い子供たちを抱えて、懸命に働く母を助けるため、13歳で 飛び込んだ芸能界。」
自宅の映像。
後藤真希さん「どうぞ。ここがいつも食卓を囲んでるリビングで。だいたい私、ここに座るんですけど、 んで、まぁ、お母さんもこの席かな。」
ナレーション「大好きだった家族が集まってた家。自分ががんばることで、みんなが幸せになるはずだった。 だが、うらはらに運命は彼女から愛する彼女を奪っていった。」

スタジオ。
中居正広さん「背負いすぎてしまったんですかね・・・」
後藤真希さん「そうですね・・・。」

ナレーション「彼女が小さな肩で背負ってきたものとは、一体なんだったのか。今夜、後藤真希がすべてを語る。 悲劇から半年。涙とともに全ての悲しみを置いて前に進むために。」

後藤真希さん「今は、頑張りたいと思ってるんですよね。うん・・・。がんばりたいと思ってるんで・・・」
ナレーション「母が最期まで願ったステージに立つために・・・。金スマ波乱万丈スペシャル。後藤真希24歳の『告白』」

スタジオに後藤真希さんが登場。

中居正広さん「後藤真希さんです。よろしくお願いします」
後藤真希さん「お久しぶりです。よろしくお願いします」
中居正広さん「お久しぶりで」
後藤真希さん「ほんとにお久しぶりですですね」
中居正広さん「4、5年ぶりぐらいかな」
後藤真希さん「そうですね。もうそれぐらい経ちます」
中居正広さん「今年25とか?」
後藤真希さん「今年25。」
中居正広さん「びっくりしますね」
後藤真希さん「大人になりますよ。でも、その分、中居さんも、ね」
中居正広さん「ふけました?(笑)。13歳で、今は24、5。11年、12年。早かったですね?」
後藤真希さん「でも、やっぱりこう、思い返していくと、なんかこう、昔の自分がもちろん、映像だったりとか、 残ってるわけで、なんかものすごく懐かしくなったりとかもしますが」
中居正広さん「懐かしいというふうな年月は経ってないと思うんですよ。やっぱり、 後藤さんがいろんな経験されたからこそ、懐かしく感じてしまったのかもしれないですね」
後藤真希さん「かもしれないですね」

安住紳一郎さん「これからご覧いただくVTRは後藤真希さん本人へ行ったロングインタビューを元に作られた再現VTRです。 様々な思いがつめられています。ご覧いただきましょう。」

ナレーション「国民的アイドル、モーニング娘。のメンバーとして、10年に一度の逸材と言われた、後藤真希。今からちょうど 半年前、1月23日、そんな彼女を突然の悲劇を襲った。最愛の母、時子さんが自宅3階の窓から転落死。 落ちたのは、服役中の弟、ユウキの部屋から。しかも、事故は彼女の目の前で起きていた。 このあまりにもショッキングな悲劇に世間は騒然とし、葬儀には、報道陣が押し寄せ、 彼女にフラッシュの嵐が浴びせられた。芸能人の宿命とはいえ、心情を考えれば、 人前に出ることは辛かったはず。しかし、彼女はカメラの前で表情一つ崩すことはなかった。感情を失っているーー、 その気丈な姿はそんなふうにも見てとれる。だが、実はこの葬儀の裏側で彼女は一度だけ押えきれない 気持ちを爆発させたことがあった。それは、同じ時間を共に行きた仲間、モーニング娘。のメンバーと、 お世話になった当時の担当マネージャーに会った時だった。」

マネージャー「後藤、」

ナレーション「この時、マネージャーは、あまりの真希の姿に掛ける言葉を失ったという、そして」

マネージャー「がんばれよ」

ナレーション「すると」
後藤真希さん「なんで、なんでこんなことに・・・」
ナレーション「こう言って、その場で泣き崩れたという・・・。13歳でデビューして走り続けてきた10年間。自分が がんばることで、家族は幸せになるはずだった。『なんでこんなことになってしまったのだろう・・・』 この言葉には彼女の人生の全てが込められていた」

ナレーション「1985年、後藤真希は、東京都江戸川区にて、後藤真希の三女として生まれた。一つ下には、 のちに短いながらも芸能界に在籍する、弟のユウキ。両親は10代で出会い結婚。長女は真希と 13歳も離れ、家には家族6人に加え、母方の祖母も同居。まさに大家族の中で育った、真希。そして、 とび職として働く父、勝一は、食卓に一品でも出来合いのものが並ぶと、 『こんなもんがくえるかー!ばかやろー!』すぐにテーブルをひっくり返す、 地元ではいくつもの武勇伝を持つ有名な男。しかし、 一方の母、時子も『あんた何回机壊してんのよ~』『なんだと、このやろー!』『何が気にくわないんだよ!』 父に負けない武勇伝を持つ、地元では有名な女性。そして、夫婦ゲンカがはじまると、 近所の人達を呼びに行くのは、真希の担当。こんな光景(とっくみあいのけんかを止める)は後藤家では日常茶飯事。 まさに古きよき下町を絵に描いたような賑やかな家庭で真希は育った。 」
後藤真希さん「よくコントとかだったら、ちゃぶ太返しとかあるじゃないですか。うち家族多いので、 ちゃぶ台なんかじゃ、きかないわけですよ。ひっくり返すたんびに、テーブルがどんどん重くなっていくんですよ。新しい テーブルを買って。『これでもだめだったか』って言って。もうそれからテーブルは 買わなくなりましたけど。『なんでもひっくり返しちゃうんだ』みたいな。でも、 家族大好きだし、みんなで囲んで、必ず晩ご飯を食べて」
ナレーション「そして、真希が小学校3年生の時、『お前、居酒屋やれよ。居酒屋』母は父のすすめで、 自宅近くに居酒屋を開店。店の名前は、父が趣味の山登りでよく行っていた山の近くにある、 『袋田の滝』(茨城県)父の気まぐれではじめた店だが、母の明るい人柄で店は大繁盛。家計的にも 後藤家は裕福な家庭だった。」
後藤真希さん「やっぱり、みんなに『ママ、ママ』って言われて、好かれてました。だいたいみんな 相席で座るんです。普通だったら、自分たちの席ってなるじゃないですか。だけども、 全然構わずに、みんな相席でいいよ、みたいな感じの。お店のお客さんもみんな仲良くなるというか、 そういうお店でした。」
ナレーション「なに不自由なく、幸せだった後藤家。しかし、その後、この一家に待ち受けていたのは、 思ってもいない悲劇だった。それは、居酒屋の開店から2年後。真希が小学校5年生の時であった。 この日、父と弟のユウキが向かったのは、店の名前にした袋田の滝の近く、 茨城県、男体山。趣味のロッククライミングをするため、この日も友人と一緒に山頂をめざした。 『じゃあ、おれ、先行って準備してくれるから。ユウキ、じゃあ、後でな』父はこう言うと、 一人で先に山を登り始めた。そして、友人とユウキが遅れて山頂に到着。ところが。 山頂には命綱のロープだけがあり、父の姿はなかった。『ずいぶん早いな。もう下まで行ったのか?』すると、 ユウキがこんなことを言い出した。『ねぇ、さっきドスンって音がしなかった?』『え、聞こえないよ』『本当だよ』そして、 急いでロープをたぐると。『ねぇ、軽いよ・・・』『後藤、返事しろ』命綱の先に父の姿はなかった。 『お父さーん!』『ちょっとまってろ、助けを呼んでくるから』『お父さん!』 」
後藤真希さん「私、その時お友達と家で遊んでて、で、電話が一本入っていて、その話の内容を聞いていたら、行方不明というか、 はぐれちゃった、みたいなことを言われたんですよ。心配しないで的な感じで言っていたと思うんですけど、 」
ナレーション「これは、この事故を伝える、実際のニュース映像。男性が一人、行方不明。懸命の捜索が続けられたが、 その日、父は見つからなかった。(真希さん)『お父さんはぐれっちゃったって、大丈夫かな・・・』(お姉さん)『大丈夫だよ。お父さんことだし、 むちうちにでもなって帰ってくるんじゃない?』あの強い父は必ず帰ってくる、家族の誰もがそう信じていた。 だが、翌日。真希が学校から帰ると、家にはたくさんの親戚たちが父の亡骸を囲んでいた。『真希ちゃん、おとうさんね・・・』『いい! わかってるから』信じたくない気持ちが現実から目を背けさせていた。父の遺体は、 ロープから200メートルしたで発見。皮肉にも店の名前にした『袋田の滝』の近くの山での転落死。即死だった (1996年10月28日読売新聞)」
後藤真希さん「だから、『うん、もう分かったから』」って言って、一言残して自分の部屋にそそくさと 上がって行っちゃって、何が何だか分かんない気持ちでボーっとしてたんですけど、 違和感がありすぎるんですよね。現実に受け止められない・・・気持ち。まぁ、食卓を一緒に囲むことも、 要は一人いないじゃないですか。だから、不思議な感覚。」
スタッフさん「お母さんは、ショックというか?」
後藤真希さん「う~ん、でもショックだとは思うんですけど、ショックな感じは あんまり見せてこなかったですけどね。うちらには」
ナレーション「そう。実は、母だけではなく、 真希の父も転落死していたのである。しかも、母は真希の目の前で、 父は、ユウキの目の前だった。」

ナレーション「父の突然の転落死。それを目の前で見てしまった、弟、ユウキ。 少年の心にはあまりに深い傷だった。そして、一家の大黒柱を失って以来、 後藤家は変わった。父のいない食卓。 芯の強い母もそのショックは隠しきれなかった。 下町の明るい家族からは笑顔は消えたのである。生活の糧は 父が残してくれた居酒屋だけ。母は必死になって働いた。 そして、子供たちも母を助けるために、家事の一切を当番制で やっていたが、家族5人に加え祖母。当然ながら家計は厳しい。父亡き後、 家族の結束は強くなってもどうしようもない現実があった 」
後藤真希さん「バイトとかもほんとだったら、できたらいいんですけど、まだ 全然子供だったので、出来ないし、とかいろいろ考えてましたね。 履歴書とかも書いたことないし、とか。」
ナレーション「この時、長女は成人していたものの、次女、真希、ユウキの学費で 家計が厳しくなるのは目に見えている。だが、母を助けたくても 小学生の真希にできることは、店の手伝いぐらいしかなかった。しかし、 中学校にあがると、真希、そして、後藤家に思ってもいなかった 転機が訪れる。ふと見ていたテレビ、そこに映っていたのは、当時 人気急上昇中だったモーニング娘。追加メンバー募集の知らせだった。 」
後藤真希さん「モーニング娘。に憧れてるっていうか、そっから、『ASAYAN』っていう 番組を知って、モーニング娘。の中身を知ったっていう感じなんですよ。」

「お母さん、私、モー娘。のオーディション受けてもいい?」
「えー?いいけど、どうせ受かんないわよ」

ナレーション「モーニング娘。のメンバーの名前すら知らなかったが、 とにかくだめもとでオーディションを受けてみることに。 この時まだ13歳。募集人数は、11000通の応募の中からわずか2名。 どうせ受からない、そんな軽い気持ちで受けたオーディションだったが、 」

1999/8/22OA「ASAYAN」の映像。

ナレーション「受かったのは、なんと真希ひとり」

当時の、
後藤真希さん「自分なりにがんばってきたんで・・・」

ナレーション「プロデューサーのつんく♂に、10年に一人の逸材と言わせたほどだった。 そんな彼女には、モーニング娘。のオーディションで、どうしても 忘れられない思い出の場所がある。(東京都江戸川区)」

後藤真希さん「ここです。全部、看板とかもなくなっちゃってるけど」
ナレーション「ここは、生前、母、時子さんが経営していた居酒屋『袋田の滝』 現在もその面影だけは残っている。」
スタッフさん「ここの一番の思い出ってなんですか?」
後藤真希さん「いやでも、ほんと、『ASAYAN』オーディション受かったあとに、 ここにすぐ来たんですよね。で、お母さんが、案の定片付けしてて。 ひとりで。で、報告しに来たっていう。泣いてましたよ。うれし泣きで。」
ナレーション「これがその時の映像。」

お母さん「どした?」
後藤真希さん「受かった。」
お母さん「受かったの?うそー?わーすごーい。ほんとに?すごいすごいすごい。誰と? 」
後藤真希さん「ひとり」
お母さん「なんつう子?」
後藤真希さん「私」
お母さん「お前だけ!?」
後藤真希さん「何泣いてんの?」
お母さん「なんか涙が出てきて・・・」

後藤真希さん「嬉しかったんだと思います。私もびっくりしちゃって。まさか泣くなんて 思ってないから。何泣いてるの?みたいになってたけど。良かった! とか言いながら、ボロボロボロボロ」
スタッフさん「そこからはじまったんですもんね。芸能生活が」
後藤真希さん「そうですよ。だって、受かったもう次の日ぐらいから、普通に 仕事してましたもん。デビューしたあととかは、やっぱりファンのみんなが すんごいお店に来て、一時期なんてすごいですよ。お店の中も 満杯なのに、外もずっーと並んじゃって。だから、お母さんもずっと 待たしとくのもあれだからって、言って、外のなんかちっちゃい、こういう お酒が入ってるような台をテーブルにして、で、そこにみんなにお酒とか食べものとか 持ってって、少しでも、みたいな。で、で、一緒に外で 飲んだりとかもしてました。お母さん。」

ナレーション「そして、このオーディション以降、真希の人生は一変した。受かった翌日には、 わけもわからず、新曲に合わせた衣装合わせ。その翌日にはどんな曲 かもしらないのに、CDのジャケット撮影。さらに、『1週間後に アリーナでライブをやるから、歌、フリ、全部覚えてくれよな』『全部ですか?』 『うん。がんばれよ』なんと、受かって2週間後には、横浜アリーナの ステージに立つことに。そして、1999年9月、ついに真希の デビューシングルとなるあの曲が発売。(「LOVEマシーン」)真希がいきなりセンターポジションで 歌ったこの曲はオリコン初登場1位。164万枚を売上、 モーニング娘。初のミリオンヒットを達成。翌年発売した『恋のダンスサイト』も 前作に続き、ミリオンヒットを記録。一時は人気が下降気味だったモーニング娘。が 真希の加入後、ヒット曲を連発。さらに、彼女たちがテレビ出演をすれば 軒並みこう視聴率に。(1999/9/9OA「うたばん」)これが真希のバラエティー番組 初出演の映像」

中居正広さん「いくつ?」
後藤真希さん「13です」
中居正広さん「13歳?」
後藤真希さん「はい」

番組では、
「モーニング娘。さんありがとう。高視聴率御礼。うたばん」
というのぼりが。

ナレーション「今までのアイドルとは違い、バラエティー番組にも出演できる アイドルとして新境地を切り開いた。急上昇する人気との 相乗効果で曲も爆発的にヒット。さらにモーニング娘。の中でも 特に人気のあった真希は新たなユニットも結成。この曲(プッチモニ「ちょこっとLOVE」)でも ミリオンヒットを記録し、その人気は不動のものに。次々とヒットを飛ばし、 日本中に巻き起こったモー娘。現象。その経済効果は数百億円とも言われ、 シングルの総売上は1159万枚。女性音楽グループとして、堂々の歴代1位を 記録。10年のひとりの逸材、その言葉通り、 後藤真希の加入はモーニング娘。を歴史的なモンスターグループへと 成長させ、国民的アイドルとして、芸能史にその名を刻んでいった。 下積みもなく、たった一度のオーディションで下町で育った普通の女の子が芸能界の 頂点に立った。ありえないほどのシンデレラストーリー。 真希の成功は、父を亡くし、一時は光を失った後藤家にも大きな希望を与えたのである。 そして、デビューして2年後には、家族みんなで住めるように、と真希の願いで、 3階建ての自宅を新築。姉夫婦も同居し、念願だったそれぞれの部屋も設けられた。 楽しくて賑やかだった昔のように。この家で後藤家の幸せを刻む新たな 歴史がはじまったのである。そして、ここが東京の下町にある実際の家。 今回特別にその中を見せてもらった。」

ナレーション「いったい中はどうなっているのか、今回特別にカメラを入れさせてもらった。」
後藤真希さん「ここがいつも食卓を囲んでいるリビングで」
ナレーション「現在この家に住んでいるのは、姉一家に次女、そして真希。以前は 弟一家もこの家に住み、大勢で食卓を囲んでいた。」
後藤真希さん「みんなで一緒に住むにあたって、やっぱり快適なお家がいいって、 みんなでなんか建てたっていう感じですけど、」
スタッフさん「やっぱり、出来た時はご家族も喜んでましたか?」
後藤真希さん「う~ん、そうですね、みんなすごい楽しみにしてたと思いますね。私も だって、この家できて、まだ荷物とか全部移してない時に、夜中入って、 友達とかとかくれんぼとかしたりとかしてて。みんなも 『お家見に来た』とか言ってて。」
ナレーション「家族みんなで住めるように、そんな 真希の願いで建てられた夢の家。しかし、彼女がその成功と引換にしたものは大きかった。 仲の良かった同級生はみな、真希から離れていった。さらに。『私の机は?』久しぶりに 学校に行くと、席がない。(落書きされて、教室の隅にほおられている机)テレビの中でもスターでも学校に真希の居場所はなかった。 それだけではなく、アイドル雑誌には、仲の良い友人しか持っていないはずの写真が掲載。こんなことは 当たり前のようにあった」
後藤真希さん「写真売るなよって、その子しかいないじゃんって思うんですけど、 言うに、言えないし」
ナレーション「しかし、何があっても家に帰れば、あたたかい家族がいる」

「ほら、真希、いっぱい食べないとがんばれないよ」
「そんなにたくさん食べたら太っちゃうよ」
「でた、芸能人」
「うっせぇ。ばか」

ナレーション「たとえ、失うものはあっても、家族が幸せならそれでいい、 真希にとってはそれが全てだった。その後、弟のユウキもモーニング娘。の コンサート会場でスカウトされ、ゴマキ弟としてデビュー(EE JUMP)。 一番下の唯一の男の子。事の外、かわいがっていた母と祖母も彼のデビューを 喜んだ。端正なルックスとキャラクターで、ユウキは将来を期待されていたが、 仕事をドタキャン、逃亡など、芸能界でたびたび問題を起こすように。 当然、姉である真希のもとにもその話が入っていたが、まだ思春期のふたり、 話せばきっとけんかになる。真希からは何も言えなかった。 」
後藤真希さん「まぁ、やきもちはあったと思います。うん。なんか『お姉ちゃんばっかり』みたいな、 自分の友達だったりとかしても『お姉ちゃん、何やってる?』みたいな感じで 聞かれることも多かっただろうし、サイン求められることも多かっただろうから、 ちょっとやきもちもありつつの芸能界デビューみたいな。だから、ほんとに なんかもう、この世界の方たちには、いろんな意味で迷惑をかけて しまったんじゃないかなとは思うんですけど、」

ナレーション「そして、2002年4月、モーニング娘。『そうだ!We're ALIVE』が発売 された頃、ユウキは未成年らしからぬ、夜遊びをしているところをスクープ され、芸能界を引退。もともと姉のコンサートでスカウトされ、 興味本位で入った芸能界。その後は一般人として働いていた。 そして、それから半年後(2002年9月23日)」

後藤真希さん「ほんとに、どうもありがとう、これからもよろしくお願いします」

ナレーション「真希は、自身、そして家族の人生を変えたモンスターグループ、 モーニング娘。を卒業。」

後藤真希さん「バイバイ!」

ナレーション「歌手、後藤真希として、新たな出発だった。この時、まだ17歳。 わずか3年という短い期間ではあったが、弟のデビューも含め、 モーニング娘。は真希と、後藤家に大きな変化と希望をもたらした。しかし、 家に差し込んだ明るい光がある日を境に消えることをこの時はまだ知るよしも なかった」

スタジオ。

中居正広さん「ほんとにもう、駆け足で時間を過ごしてきたんじゃないのかなっていうふうに思いますけど」
後藤真希さん「もうほんとにでも、デビューしてからは、休みっていう休みがほんとになほとんどくって、夢中で 走ってきちゃったから、周りのことがよくわからないんですよね。こういうことが、芸能人って当たり前 なんだって思い込んでしまって」
ベッキーさん「私、ちょうど『ASAYAN』をずっと見てて、毎週。ほんとに 何日か後にコンサートあるから、全曲ふりつけ覚えろ、って急に言われて、」
後藤真希さん「そうですそうです」
ベッキーさん「普通の女の子だったのに、いきなりね、ふりつけとか覚えて。こんなに人生 って変わるんだなって」
中居正広さん「お父さんは、デビュー知らないんだよね」
後藤真希さん「知らないですね」
中居正広さん「自分がこうなってる姿をお父さんに見せたかったな、っていう思いもあったり?」
後藤真希さん「そうですね、うちの両親すごく歌が好きなので、昔よく夫婦でも 踊りに行ってたって言ってて。ディスコに。」
大竹しのぶさん「10代の時?」
後藤真希さん「そうです。お母さんからナンパしたんです。自分の家から 駅まで徒歩で歩いていく最中に、後ろにバイクの音が聞こえて来て、 『ちょっと待ってー!』って大声で叫んだら、バイク2台がすーっと止まってくれて、 『ちょっと駅まで乗せていってくれ』と『お、いいよ。どっち乗ってく』みたいな話になって どうせ乗るんだったら、カッコいいほう乗るかって言って、乗ったのがお父さんのバイク。 」
ベッキーさん「すごいねー。ナンパっていうか、もうヒッチハイクですよね。きっかけは」
後藤真希さん「ほんとそうです。そうですね(笑)」

中居正広さん「ここから7年、もっともっといろんな事があったんじゃないのかな」
安住紳一郎さん「後藤真希さんの告白、続けてご覧ください。」

ナレーション「ここからが試練のはじまりだった」

2002年9月23日、横浜アリーナ
後藤真希さん「ばいばい!どうもありがとう!モーニング娘。の後藤真希でした。ばいばい!」

ナレーション「モーニング娘。卒業後、ソロとして活動することを決めた 後藤真希。だが、ここからが彼女の試練のはじまりだった。2005年9月、 芸能界を引退し、一般人として働いていた弟、ユウキが10代で結婚。 問題を起こし、一時は心配をかけたが、女で一つで育ててきた一人息子の旅立ちに、母は涙して喜んだという。 後藤家の母の部屋には、その時の思い出がこんな形で残っていた」
後藤真希さん「これは、祐樹が結婚するときに、母へのプレゼントで、その、祐樹が生まれた時の、 同じ重さだったり身長だったりとか、そういうぬいぐるみを祐樹が母にプレゼントした。 まぁ、でも泣いてましたよ。やっぱり。嬉しいのかなぁ、そういう場所って。 私もだって、結婚式参加した時、涙出てきましたもんね。なんか悲しくなって、 なんかうれし泣きというか、すごい切ない気分になって。不思議な感覚だったなぁ  」
ナレーション「母、そして、真希にとっても、祐樹の結婚はなにより嬉しいものだった。その後、 ユウキには二人の子供の誕生。家には姉一家に加え、 ユウキと家族も含み、父の亡き後、再び後藤家は三世代が同居するという 大家族になった。家族がみんなで住めるように、そんな真希の願いから 作られたこの家は、まさに幸せを刻む、夢の家となっていったのである。しかし、 家に差し込んだ明るい光はあまりにまぶしかった。暗い影に誰も 気づくことができなかった。家を建て替えて2年目の8月(2003年8月22日)、 同居していた祖母が病に倒れ、他界(田中薙起子さん享年76歳)。そして、 母にも病魔がしのびよっていた。『後藤さん、肝臓がかなり深刻な状態です。 お酒やめないと、命に関わりますよ』母は医師からこんな忠告をされていた。 夫をなくしてからというもの、残された子供たちを育てるため、必死になって 働いてきた。時には、飲みたくもないお酒を無理して飲んだこともあった。その 結果、肝臓は弱り、いずれは移植が必要なほど悪化。さらに 軽度の脳梗塞もわずらい、体はぼろぼろの状態だった。そんな矢先、さらに 母を苦しめる出来事が起きるのである。それは、予期せぬ出来事だった。 」

後藤真希さん「ただいま・・・どしたの?」

ナレーション「すると、弟、ユウキが」

「姉ちゃん、おれ・・・、自首するわ」
後藤真希さん「あんた、何やったの?」

ナレーション「弟、ユウキは、2007年7月、東京都江戸川区の工事現場から 数人の仲間と金属ケーブルを盗み、転売。先に捕まった仲間からの供述で 逮捕は時間の問題だった。そして、翌日」

「じゃあ、行ってくるわ。」

ナレーション「家族に全てを告白した弟、ユウキは母に付き添われ、地元の警察署に 出頭。幼い子供二人を残し、妻のお腹には新たな生命も宿っていた。 逮捕されたユウキは、その後、複数の窃盗事件や傷害事件にも からんでいたことが判明。刑事事件として起訴された彼の公判には、 毎回母や家族も同行し、判決の行方を見守った。そして、『楽をして 金を稼ごうと考えた自己中心的な動機に情状酌量の余地はない』とし、 8年の休憩にたいして、5年6か月の実刑判決が下った。求刑よりも 短い判決だった。『年齢が若く、身重の妻と幼い子供がいる、母親の 厳しい監督のもと更生して欲しい』という理由からだった」
後藤真希さん「その、被害者の方だったり、本当に、たくさんの方々にご迷惑をお掛けして しまったっていうことが、もうほんとに、申し訳ないという気持ちで いっぱいになります。事件になる前に、今どういう状況なのかを 察することが出来なかった自分だったり、もちろん、それは、自分以外の家族も 思ってると思いますけど、そういうことに、気づけなかったっていうことが、・・・うん、 姉としてもっとしっかりしてればなぁと思います。」
ナレーション「息子が起こした事件。誰よりも責任を感じているのは、 母だった。『この度は息子がとんでもないことを。申し訳ありませんでした!』 母は被害にあった方々に何度も謝罪してまわった。もちろん、 誤って済む問題ではないが、そうせずにはいられなかった。 『ユウキ、背中流してやろうか』かわいがっていた 末っ子ユウキ。間違った道へと進ませてしまった自分の甘さ。残された子供たち や家族。ユウキを託した亡き夫への思い。親としての責任。母の絶望は あまりに深いものだった。そして、母は続けていた居酒屋も 長女に譲り、いつしか酒に溺れるようになっていった。」

「ちょっとお母さん、飲み過ぎだよ。医者にとめられてるんでしょ」
「いいのよ。どうぜ死ぬんだから」
「またそんなこと言って。」

ナレーション「先は長くない。母はこんなことをよく口にするようになっていた」
後藤真希さん「将来好きな人ができて、結婚するっていう時に、お母さんがもし いなかったら、両親がいないわけじゃないですか。そういうのって 子供の頃から考えたことないし」
ナレーション「母の体を思うと、お酒はやめてほしい。だが、夫を早く亡くし、自分は 病に起こされ、一人息子は逮捕。母のつらい気持ちは痛いほど分かった。 そして、姉である真希にとっても、ユウキの逮捕は想像すらしない 出来事だった。はじめて面会に訪れたときは、こんな言葉を 交わしたという」

後藤真希さん「元気?」
「あぁ」
後藤真希さん「やせたね」
「ごめんね。俺のせいで。真希ちゃんにも迷惑かけちゃって」
後藤真希さん「まぁ、なんとかなるよ」

ナレーション「わずか10か月の弟、ユウキ。兄弟というよりむしろ友達のような 存在だった。その弟が今、壁の向こうにいる。それは、ユウキが 犯した罪の重さを改めて実感した瞬間だった。」
後藤真希さん「ほんとに悲しかったですね。『あ、こういうことなんだな』って。 弟が起こした事件っていうか、こういうことをしてしまったんだな、と思って。」
ナレーション「応援してくれる、ファンと家族のために、必死に 頑張ってきた芸能界。しかし、この時、歌手としての自分の行末に悩んでいる 時期でもあった。そこに飛び込んできた弟の事件。『もう、だめかな・・・』 これを機に、芸能界を去ろう、事件は真希の背中を押した。」
後藤真希さん「姉である私が、やっぱり、世間から見たらすごい華やかなところで、自分がこう、 出て行くっていうことに関して、いいのかなぁ、とか、どうしたらいいんだろう っていう思いで、やっぱり複雑な心境でしたよね。」
ナレーション「そして、開かれた家族会議」

後藤真希さん「私、芸能界やめようかなって。」
お母さん「えっ!?」
後藤真希さん「いやいや、ユウキのことがあったからとかじゃなくて、 前々から思ってたことでさ、なんか疲れちゃったなぁ、なんて」

ナレーション「あえて、明るく言った」

お母さん「そんなこと言わないでよ」

ナレーション「弟のせいで真希までも。罪を背負っていくのは私だけでいい、母には 耐え難い話だった 今、自分がやめれば、人一倍責任を感じている母を、さらに苦しめることになる。 とはいえ、この状態で仕事を続けるのはあまりに辛かった。そして、 むかえた、2007年、全国ツアー。彼女はある決意を胸にスレージに あがっていた。このツアーを最後にお世話になった、ハロープロジェクトをやめることを 発表。表向きは歌手活動は続ける、ということになっていたが、 真希は引退を決意していた。」

後藤真希さん「ごめん。お母さんの気持はわかるけど、やっぱり、私無理だった」

ナレーション「すると、母は」
お母さん「ねぇ、真希、お母さん死ぬ前に、もう一度あんたがステージに 立つのが見たい」
ナレーション「母は、真希の歌を誰より楽しみにしていた。一家の大黒柱だった夫に先立たれ、 暗くなった家庭に光を灯したのが、真希の芸能界デビュー。後藤家には いたるところに、真希の栄光の歴史が飾られている。(紅白歌合戦のトロフィーなど)弟は 服役し、体を壊した母にとって、娘がステージにいることは、唯一の救いであり、 希望だった。」
後藤真希さん「母もずっと体調悪いし、病気抱えてるし、うーん。 先が長くないんだろうなっていうのは、よく聞かされてはいたんですよ。 その言葉だけは。お母さんには、『自分が亡くなる前に、もう一回、真希が ステージで歌ってるところが見たい』とか、そういう夢があって、なんて言うんだろう、 なんか辛いような感じもあるじゃないですか・・・(涙)」
ナレーション「ステージに立つことで、絶望の淵にいる母の力になるのなら、真希は もう一度歌うことを決意。そこには、こんな思いもあった。それは、服役中の 弟、ユウキ」

手紙で「真希ちゃん、ごめん。おれのせいで。事務所やめさせられちゃったんでしょ。 ほんとに、ほんとに申し訳ない」
後藤真希さん「別にあんたのせいじゃないって。私が決めたことなんだから」

ナレーション「犯した罪に加え、姉の人生を壊してしまったという 十字架を弟、ユウキに背負わせたくはない、そんな気持ちもあった。 たとえ、どんな目で見られても、家族の思いを背負い、もう一度ステージへ。 そして、再出発を誓った彼女に、最大の試練が訪れようとしていた 」
スタジオ

中居正広さん「いろんなものを、背負いすぎてしまったんですかね・・・」
後藤真希さん「そうですね(涙)。もうちょっと、うん、なんか、背負うものを入れれる 場所があったら良かったんですけれど、結構、いっぱいいっぱいでしたね」
中居正広さん「やっぱりステージに立っている自分の娘って誇らしげな思いって あったと思うんですよね。嬉しかったと思うし」
後藤真希さん「毎日、毎日、どうしようどうしよう、歌おうか歌わないかってすごく悩みましたね」
大竹しのぶさん「ソロになってからもやっぱり、辛かった?プレッシャーみたいな」
後藤真希さん「プレッシャーはすごくありました」
中居正広さん「『元モーニング娘。後藤真希』っていうのは嬉しいですか?」
後藤真希さん「あー、うれしい時もあれば、もう、 その『元』っていうのは名前の一部じゃないから、たまには外して欲しいなって思うときも あるんですけど」
中居正広さん「弟さんとは連絡は取ってたりだとか?」
後藤真希さん「今ですか?今手紙のやりとりやってます。反省している毎日だったり、 する中でまぁ、私がテレビに出ていたりとか、そういうのも中で見て、 すごく嬉しくなったみたいで。」
室井佑月さん「その年で、家族も抱えてっていったら、普通、その年の女の子がすることじゃないよね」
後藤真希さん「でも・・・、そうですね・・・とにかく、あの、うん・・・、うん・・・。 すごい、すいません。」
中居正広さん「周りの人をほっとけないんですよ。弟さん、お母さん全部ふくめて、 ほっとけないんですよ。ただ、ほっとけない自分にいっぱいいっぱいになってしまって、 どっかでガスを抜かなきゃいけないんだけども、 いつも間にかガス抜きする場所すらなくなってしまって、 そういう時間さえもない。さがす時間もない。 13歳からはじめて、もしかしたら、13歳、モーニング娘。になったその日から、そうだったのかもしれないね 」
大竹しのぶさん「いっぱいいっぱいで・・・」

中居正広さん「さぁ、続いてですが」
安住紳一郎さん「再出発を決意し、活動を始めた矢先に待っていたのは、 またしても大変に辛い現実でした。後藤さん自身、振り返るのはまだ早すぎる時期かもしれません」

ナレーション「早くに父を亡くし、13歳でモーニング娘。としてデビュー、 一家を背負い、走り続けてきた芸能界。しかし、その先にあったのは、 あまりに皮肉な運命だった。(2008年2月)『お母さん、私ちょっとの間家あけるけど、 飲み過ぎちゃだめだよ』『わかってるわよ』芸能活動休止後、 真希はアメリカ・ロサンゼルスへ。世間では弟の事件で引退、そんな声が ささやかれていたが、ここでダンスやボーカルのレッスンを受け、 再出発へ向け、自分を磨いていた。娘の再起は、母、時子さんにも大きな希望を 与え、ロスにも応援に駆けつけたという(後藤真希さんのほっぺにお母さんがキスしている写真。) そして、真希は大手事務所、エイベックスへと移籍。 いつまでもモーニング娘。の後藤真希では、これから先は通用しない。 自分ががんばることで、母が喜んでくれるなら、新天地で彼女は再び走りだそうとしていた。 エイベックスの社長、松浦氏は真希の再出発ついてこう語る。 」
松浦勝人さん「やっぱり、今まで得てきた、その、経験っていうのは、まぁ いいことも悪いことも味わった本人じゃなきゃわからないと思うんですけど、 軽々しくは言えけないことですけど、そういった今まで過去に経験してきたことがあって、 今の後藤真希がいるわけで、今、モー娘。も終わって、で、 ソロで活動をしていたけど、まぁ、それほど昔ほどは言っちゃ悪いですけど、 目立ってたわけでもなかったんですけど、なんか見ていて、 そういうお話をいただいた時に、なんか、まだやり残していることが この子にあるんじゃないのかな、とそういった所から、 彼女と何かやってみようかなということに決めたんですけど、」
ナレーション「そして、今年、2010年1月『ねぇ、お母さん。 春に曲出すことになったよ』『ほんと?どんな曲なの?』『それは、まだわかんないよ』 『やっぱり、バラードがいいわよね。絶対バラードにして。ほら、私も歌えるし』『はいはい』『いつレコーディング?』 『だから、まだ先だっつうの』『春ねぇ』・・・『おかあ、待っててね』」

ナレーション「母が楽しみにしていた再デビューまでもうすぐだった」

ナレーション「母が亡くなる前日の(2010年)1月22日」

後藤真希さん「お母さん行ってくるね」
お母さん「あれ?今日仕事なの?」
後藤真希さん「レコーディング」
お母さん「えー?そうなの?」

ナレーション「この日、母と会った真希のマネージャーはこんな会話を交わしたという」

お母さん「おめでとうございます」
マネージャーさん「明けましておめでとうございます」
後藤真希さん「行ってくるね」
お母さん「行ってらっしゃい。どうなんです?真希は」
マネージャーさん「大丈夫です。今年はいきますよ。春には新曲だしますから」
お母さん「もうあまり長く待てませんよ。あたし先長くないんだから」
マネージャーさん「なに言ってるんですか。CDできたら一番先にお母さんのところ 持ってきますから、楽しみにしててください。それじゃ」
お母さん「行ってらっしゃい」

沖汐博信さん「その日がちょうど、そのCDに向けたレコーディングで、バラードが1曲ありまして、まぁ、 お母様が、真希ちゃんのバラードをすごく聞きたがっていたところもあって、『真希ちゃんは恥ずかしがって、 私に(CD)くれないかもしれない』っていう話をしたので、じゃあ、僕だったり、 チーフマネージャーから直接お送りしますよ、という話をしていて、『じゃあ、楽しみにしてます』という 会話があったのが、その前日で」

ナレーション「そんな会話の後に行われたレコーディング。楽しみにしてくれている母のために、必死に歌った。 だが、この翌日、運命はあまりに残酷だった。2010年1月23日それは、皮肉にも笑顔の思い出を つくるはずだったこの家で起きてしまった。 」
後藤真希さん「まぁ、その日はたまたまオフだったんですけど、起きて、夕方ぐらいまで 寝ちゃって、起きて。家に誰もいなくって、」
ナレーション「それはあまりに突然の出来事だった。『寝ちゃった・・・』この日、家にいたのは、 真希ひとり。久しぶりの休日。夕方近くまで寝ていた。そして、日がくれた頃、『ただいま』酔った母が帰宅。 いつもよりも酔っている。心配した真希は、母の部屋へ。しかし、 母の姿はなかった。『お母さん?』もしからした真希の部屋にいるのかもしれない。 そう思い、2階へ。『わぁ!』驚かそうとおどけてみたりもしたが、 母の姿はここにもなかった。一体、母はどこへ行ったのか。すると、 3階の電気がついていた。『何やってんだろ?』3階にあるのは、 服役中の弟、ユウキの部屋。空気の入れ替え以外、誰も行くことはなかった。 『お母さん?』母は窓に腰をかけ外を眺めていた。『何やってんの?酔っ払ってるんだから危ないよ』 と、その時だった、『もしもし、ちょっと待って。ごめん、今、おかあ、がさ・・・』『もしもし、真希?もしもし』 まさか、そんなことがあるはずがない。祈るような気持ちで窓を見た。母の姿はなかった。 目を離したすきに母は3階の窓から道路に転落。この時、真希から連絡を受けたマネージャーは 」
沖汐博信さん「僕は会社で事務仕事をしてまして、携帯が鳴って。この時間に、まぁ、あんまりないんですね。 その日、たまたまオフだったので、彼女が。オフの日に、この時間に電話来るって何かあったのかなって 思って、出たところ、もう泣き叫んでいて、もう。何をしゃべっているか全然。それを察して、もう、 友人の方が家に駆けつけてたみたいで、電話かわって下さって。前日に・・・。ほんとに、信じられなくて・・・そうですね。」
 
ナレーション「その後、救急車が到着するものの、第一発見者の真希は、警察の事情聴取のため、病院には行けなかった。後藤家の 1階にある、母の部屋。事情聴取はここで行われたという。」
仏壇には生花が。

後藤真希さん「母が事故にその遭った時に、その警察の方とかとここで話してて、病院に行く前に、 『お願いだから、連れてかないで』ってお父さんにお願いしたんですけど・・・。 お父さんは来ても、母が来てもうれしいかもしれないけど、お願いだから連れてかないでよ って言ったんですけどね、」
ナレーション「死ぬわけがない。父が母を必ず守ってくれる。『お父さん、お母さんを連れてかないで』 心の中でなんども繰り返し、母の元へと急いだ。しかし、真希が病院に到着する10分前だった。」
後藤真希さん「目の前から歩いてきたのが、うちの姉2人で、肩組みながらすごい泣いてて、もうそれ見た 瞬間に、『あぁー』ってまた思って。嘘だったらいいなってほんとに思いましたけど、なんでだよって 思いましたけどね。『いなくなってしまいたい』と思いましたもん。うん。ほんとに、 『連れてけよ』ってほんとに思いました。どうせなら。・・・・・・そうですね」
ナレーション「それは、決して起きてはいけない悪夢だった。」

ナレーション「そして、行われた母の葬儀。第一発見者となった真希には、たくさんのフラッシュが浴びせられた。 集まった報道陣の前で気丈にも真希は涙を見せなかった。葬儀には生前母を慕っていた沢山の人が参列。 その数は500名にもおよんだ。中にはモーニング娘。のメンバーの姿も。 」
中澤裕子さん「なんか、悲しい顔を私たちに見せないように、してくれてました。ほんとに 少しでも早く元気になって、私たちだけじゃないんですよ。ファンの方もすっごい心配してますから。 一人じゃないよって。ちゃんと振り返ったら私たちいますから。そういうのを・・・、 ほんとは言葉で伝えたかったんですけど、出来なかったので、ほんとに悲しいです」
ナレーション「母のために、もう一度ステージにあがると決意し、ようやく走りだした矢先に 起きた悲劇。複雑な思いだけが頭をよぎっていた。あの、賑やかで楽しかった家族。 父亡き後、自分ががんばることで家族は幸せになるはずだった。笑顔と 深い悲しみを刻んだ、みんなの家。今ここには、真希と姉夫婦たちだけが住んでいる。ユウキの 刑期はあと3年。彼は母の死をどう受け止めたのか、家族にこんなことを伝えたという、 『おれが帰るまで、母さんの遺品は整理しないでください』ユウキの意思を受け、母の部屋は 現在もそのままとなっている。楽しみにしていた真希の再デビューを見ることなく逝ってしまった母。 亡くなる前日にレコーディングしたバラード、『華詩』は 葬儀の翌日、母のもとに届けられた。『なんで、もう少しだったのに』この歌は、 のちに真希が詞を書き直し、天国の母へと贈った。一体、これからなんのために ステージに上がるのか・・・、見つけた答えは、亡き母のために歌うことだった。」

2010年6月3日「PUREMIUM MINI LIVE」

ナレーション「そして、母の死から4か月後、真希は再出発のステージに立った。 空席となってしまった母の席。しかし、この日、こんなことがあったという 」
スタッフさん「(ネコ)生まれたばっかりですか?」
後藤真希さん「生まれたばっかりですね。私の再デビューというか、イベントに日に、生まれたんですけど。 お姉ちゃんからメールが来て、で、なんかそのメール見たら、『赤ちゃん生まれたよ』っていって。 『お母さんの生まれ変わりだね』とか言って。『イベント来たかったんじゃない?』とか言って。 『だから、イベント前に生まれたんじゃない?』みたいなメールが来て、ハッと思って。予定日より 全然早かったんですよ。」
ナレーション「母は、真希がもう一度ステージに立つのを誰より楽しみにしていた。モーニング娘。に入り、 国民的スターとなった後藤真希。華やかなスポットライトの裏側で、彼女が失ったものも多くある。 小さな肩で背負ってきた家族。しかし、芸能界でがんばれたのも、家族という存在があったからだった。 今日で、母の死からちょうど半年。今、彼女は何を思うのか」
後藤真希さん「今は・・・、うん、がんばりたいと思ってるんですよね。うん。そうですね。頑張りたいと思ってるんで、 思ってるんで・・・(涙)。(芸能界に入って)良かったと思えるような、感じに、まぁ・・・、 芸能界に入って、良かったなと思えるような風に自分でしていくと思ってます」
ナレーション「後藤真希、24歳。彼女は今、再び歩き始めた」

スタジオ。

中居正広さん「もう、一生分の涙流しちゃんじゃないですかね」
後藤真希さん「いや~、ほんとですよね。」
大竹しのぶさん「これから、入ってよかったって思えるように、がんばりたいっていう言葉はすごい、 あ、それだけ大変で、それだけ私たちがわからないところでいろんな思いがあったんだな、っていうのはすごくわかったけど、 でも、芸能界ってやっぱりいいとこだなって私は思うので、頑張って欲しい」
後藤真希さん「ふふふ(笑)、ありがとうございます(涙)」
中居正広さん「さぁ、今日は歌を披露してくれるということで、」
後藤真希さん「はい」
中居正広さん「どんな歌なんですか?」
後藤真希さん「母に対する私の思いを向けた曲ですね」

中居正広さん「後藤真希さん『華詩』です。どうぞ」

ナレーション「栄光と挫折、波乱万丈な人生を送ってきた、後藤真希さん。彼女の未来はどうなるのか。 この人に占ってもらった」

駒田健吾さん「銀座の母って知ってますか?」
後藤真希さん「はい、知ってます。」
駒田健吾さん「今日はどんなことを占って欲しいですか?」
後藤真希さん「いやでも、やっぱ、これからの自分の人生というか、そうですね、この先のことを」

ナレーション「というわけで、早速、銀座の母の元へ。」

後藤真希さん「こんにちは、はじめまして。後藤真希です。よろしくお願いします」

ナレーション「果たして、彼女の未来はいかに」

ナレーション「現在、24歳。後藤さんに未来はどうなるのか。早速、鑑定開始。」
銀座の母「あんたさ、いろんな事があるけどさ、手相がいいからがんばりな」
後藤真希さん「うれしい」
銀座の母「だって、お金の相がきれいだもん。財運線がきれい」
後藤真希さん「そうなんですか?え、どこですか?」
銀座の母「今、教える。」
駒田健吾さん「さぁ、後藤さんが身を乗り出しましたね」

後藤真希さん「なんか結婚とかも気になりますよね」
銀座の母「言っとくよ。ほんとのこと言うと、離婚の相があるからね。」
後藤真希さん「えっ!?」
銀座の母「離婚の相がある」
後藤真希さん「うん、えっ!?」
銀座の母「離婚の相がある。」
後藤真希さん「離婚、離婚!?」
銀座の母「だから、離婚しないように言ってあげてる。結婚についての一つ、注意がある。 追ってる時は良いけど、追われると冷めちゃう。」
後藤真希さん「えっえっえっえっ?」
銀座の母「追ってる時はいいけど、追われると冷めちゃうんだよ」
後藤真希さん「あー・・・(笑)」
銀座の母「引かない?去ってると追いたくなる?」
後藤真希さん「最近、ともだちに言われました。」
銀座の母「それ気がつかないと結婚できないよ。会えないよって冷たくされると愛が重いんだよな。」
後藤真希さん「あー、でも、昔、結構若い頃、まぁ、若い頃、10代の頃とかは、うん、思うところが・・・」
銀座の母「あんたは追って、刺激がある恋に燃えていたいわけ。だから、 女房じゃなくて、愛人相なのよ。はっきり言って」
と後藤真希さんの頭を叩く銀座の母。
後藤真希さん「いたーい」
駒田健吾さん「ほんとにやめて」
後藤真希さん「愛人相?」
銀座の母「女房向きじゃないわけ」
後藤真希さん「でも、それよく言われて、私・・・」
銀座の母「結婚させたいから言ってんだよ」
後藤真希さん「私、13歳の頃から言われる」
駒田健吾さん「え、そんな。13歳のころから愛人の相って言われてるんですか?」
後藤真希さん「大人とやっぱり、仕事しはじめた時に、その、一緒に仕事してる仲間に なんかこう、女房って感じじゃなくて、お前は愛人っぽいよなって スタッフさんに言われて、『えっ!?』って。13歳の頃に いきなり愛人とか言われて。何を言ってるんだろうと思ったんですけど、 そういうことなんですね」
駒田健吾さん「すごい環境ですね・・・」
銀座の母「あんたさえ引かなかったら結婚できるから。いい結婚線があるんだから」
後藤真希さん「私が引かなければいいんですね。」
銀座の母「早くて28(歳)な。今、ちょっと気になる人はいる?」
後藤真希さん「気になる人は・・・いる、いるっていうか、なんかこう、手を焼いてます」
銀座の母「あんたのことは好きじゃないってよ、でも」
後藤真希さん「えっ?えっ?もう一回言ってください。今のもう一回言ってください。」
銀座の母「あんたのことが好きじゃないよ。」
後藤真希さん「あ~、そうなんだ。やっぱし、とかいって」
銀座の母「この人、女いるから。女とポッコポコポコやってるから」
後藤真希さん「そうなんだ、あ~」
再び頭を叩かれる後藤真希さん。

銀座の母「困るとあんた必ず救われるから。誰かが救うから。何やっても救われる。」
後藤真希さん「今までだったら、やっぱこう、生活してきて、すごくピンチだなっていう時に、 母がなんかこう、一番になって助けてくれてたので。母が今、いなくなって、なんかこう、 すごいポカーンと穴が開いちゃってて、私、どうしよう、大丈夫かなとか、すごい心配症な ところもあるので・・・」
銀座の母「大丈夫、ほんとに幸せになってもらいたい(涙)。いつもいつも心配してたんだ。 顔見たら明るい顔してたし、ほんとに、真希と会っておばちゃんうれしい」
後藤真希さん「私も良かった」
銀座の母「応援してますよ。悪く言ってる人誰も、一人もいないんだから。 がんばって自信もって」
後藤真希さん「ありがとうございました」

ナレーション「後藤さんの未来は明るい」

(2010/7/23放送 TBSテレビ「中居正広の金曜日のスマたちへ」より)

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