宇多田ヒカルさんの言行録 「トップランナー」NHK教育(2006/6/18)

宇多田ヒカルさんの言行録
「トップランナー」NHK教育(2006/6/18)


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宇多田ヒカルさんの言行録 「トップランナー」NHK教育(2006/6/18)

「子供の頃から、うち(の家族)、ちょっと変だなって思ってました。簡単に言っちゃえば、 職業がね、親が芸能人とか、そういうことも、例えば、家にいる時間が不規則とか、 地方周りで、あんまり、いないとか。そういう生活的なこともあったけど、なんか、 何が、起こるか全くわからなかったですね。母が思いっきり『ザ・芸能人』みたいな、アーティスト肌の 人で、常識に全くとらわれない、予測のつかない人で、学校から帰ったら、『ヒカル、明日からニューヨークに 引っ越すわよ』『えー!え…、うん。わかった』『荷物まとめなさい』『わかった』って言って、 しくしく泣きながら、荷物まとめ、次の日、ニューヨークに行くとか、で また、2、3年経って、『明日、東京に帰るわよ』って言われて、東京にまた引っ越しして、『友達に、 お別れ言いたいよ』『あとから、手紙書きなさい』みたいな。そういう感じだった。 だから、資金、家の中が険悪とか思ったら、『もう、2度と会えないよ、お父さんと』って言われて、 『え!』ってなって、離婚しちゃった…って。この2人、6回結婚と離婚繰り返してるんですよ、お互いと。 わけわかんないですよね。ちっちゃい頃、泣きながら、おとうさんとお別れとかして、学校で 作ったパイプの年度のやつとかあげて、『これ、持ってって』とか言って、 『もう、会えないんだ』って思ったのに、何か、1か月ぐらい(経って)、気がついたら、また、家に住んでるんですよ、お父さんが。 で、『あれ?』って思うと、『また、結婚したの』とか言われて、『あ、あー』みたいなことが、多かったですね」
「(小さい頃の夢は)実際なるのかな、と思ってたのは、科学者とか、漫画家とか、作家になりたいというか、 なるのかな、と思ってたんです。思ってたんですけど、気がついたら、ミュージシャンになってましたね。 むしろ、ちっちゃい頃は、一人っ子だから、学校から帰ってきて、小学生の頃とか、親がスタジオに夜中まで いるんで、学校から、直でスタジオに行って、ドンチャカドンチャカ、音出してる中で、 おっきな、スピーカーの下のソファーに寝っ転がって、宿題やったりとか、寝たり、ご飯食べたり。その 生活も変だと思ったり、親が、音楽にかける情熱みたいなものが、なんだか、さっぱりわかんなくて、 スタジオ代稼ぐために、車売っちゃう親とかみてて、なんか、安定した職業、安定した生活とか、何が、大事なんだろうっていうのが、 わかんなくて、車より、スタジオ代が、大事なんだ、お金大丈夫かな、とか、そういう心配になっちゃって、 絶対、私はこんな、ミュージシャンなんか、なりたくないって、思ってたんですよ。逆に」
「(アーティストになろうと思ったきっかけは)なんだかんだ言って、振り返ると、一人で、 7歳ぐらいの時から、親に招待状作って、何月何日何時に、リビングルームで宇多田ヒカルショー やるから、みたいな感じで、ヒカルショーやるから、作って、ぬいぐるみとか、と、 いろんなプランニングやって、歌と踊りとか、朗読とか、何部かに分けて、リハーサル、ドレスリハーサル、本番、 ってやってたんですよ。で、リハーサルにも、つき合わすんですよ。手伝わせるの、親に。 ここで衣装手伝って、とか。衣装チェンジとかやって、たぶんおかあさんのショー見てたから、 全部、段取りがわかっていて、やったりしてたみたいなんで。しかも、入場料取るんですよ。 50セントとか。そういうことをやってたから、結局、ずっと、歌ったり、音楽とか、ショーっていうものはやってたみたいなんですけど。 いつも、私、インタビューとかで、ミュージシャンなんか、なる気全然なくて、嫌だったって言ってるんですけど、 こういう風に振り返っていくと、学校のクラスの出し物とか、学芸会みたいな物があると、 必ず、あたしが指揮を執って、みんなに、『ここは、ハモリを』『あなた達何人、これね』とかやって、 すごい偉そうに。ちょー偉そうに、やってたんですよ。『選曲はこれがいいと思う』とかいって。『うん。ヒカルにまかせる』みたいな 感じだったんです。だから、今思うと、あたり前のようにやってましたね。ずっと」
「(制作機材)ラップトップと、MIDIのキーボード、ハードドライブ、オーディオインターフェース、 MIDIインターフェース。で、このセットで、だいたい、まぁ、飛行機とかも、中これ持ち込んで、移動して、 これ広げれば、どこでも、曲作れますね。曲って言うか、アレンジと曲全部。これで、ほとんどやっちゃってますね。 便利な時代ですよ、ほんとに」
「(曲が)できない、できないってことは、あんま、ないですね。ただ、その作りだす、一個のアイディアは簡単に出てくるんですけど、 『あ、このアイディアいいじゃん』っていうのは、できるだけど、その先を、どうしたら、いいのか、 とか、この前後にどうしよう、とか、うーん、そういう完成までの、作業が大変ですね。 ほとんど、できかけてからも、構成悩んだり、歌詞も、ここ入れ替えとこうか、こことっといた方がいいのかな、とか。 考えるのが、最後の方が辛いですね。うん。(産みの苦しみ)音楽的には、あんま、ないんですけど、 やっぱ、歌詞の麺で、この1行だけできれば、完成なのに、出てこない、っていう時は、『辛い』『生まれない』って感じがします。 だいたい、曲の方が、ほとんどできてから、『よし、じゃぁ詞を書こう』って決めてから、 具体的に、いろいろ、アイディアだしていきますね。逆にそれまでは、変な仮タイトルとかをつけて、 考えないようにしたりするんですよ。『鶴のヘルメット』とか『シャワーヘッド』とか、『しょっぱいみそ汁』とか、 『女は夜勤に弱い』とか、どうでもいいファイル名にしておいて、しばらく、歌詞が出来るまで。 デモ段階とか、音の作業してるときは、タイトルが決まるまでは、スタジオでの作業も全部 『しょっぱいみそ汁』とか書いてるんですよ」
「(ちっちゃいころの)写真みると、すごく、暗く見えるんですよ。全部髪の毛が、まっすぐの黒い髪の毛で、 おかっぱの長いバージョンみたいな感じになってて、長いんですよ。『ちびまる子ちゃん』に出てくる 『キッキッキ』って笑う女の子わかります?(野口さん)見てくれ通り、学校の通信簿に、 すごい、内気だけど、わらうと、なんか、恥ずかしそうに笑って、ちょとかわいいかな、みたいな。 でも、普段くらいかなって感じのレポート、多かったですね。(実際は)笑うのとか大好きで、 はっちゃけてると、思うんですけど、なんか、どうも、見た目の印象が暗かったみたいで、 一人で家にいるときは、神経衰弱一人でやったり、パズルやったり、人形と遊んだり、いろんなコップとか容器に、 水を入れて、それをこう、移し替えたりするのが、大好きだったんですよ。おもしろいんですよ。 いっぱいになったとか、ここの物質が、少しの量だけ、こっちに移って、でも、くっつくとか、 なんか、粒子の流れみたいな、それが、超楽しかった。(一人遊びが得意)ですね」
「(アメリカと日本)どっちにいても、ある程度、外部の人が来たってみられるっていうか、 外から、誰か来たってみられちゃうことが常で、ニューヨークにいたら、『あ、日本人の子だ』みたいな、 ルックスですぐ見えちゃうし、で、東京にいるときも、なんか、ニューヨークから帰ってきた子だっていう、 時もあったし、『頭いいんじゃねぇのこいつ』って思われると、嫌われちゃうから、 嫌われないような、キャラ作りをするとか、ちょっと、おとぼけキャラみたいな。 『いつも、一人で出来そうだね』って言われたんです。だから、『ヒョウヒョウとしてて、動じない感じだね』って言われましたね」
「勉強は好きでした。何か、唯一、思い通りに行くことが勉強だった。親とか住むとことか、子供だから、 自分で、コントロール出来ないことばっかりじゃないですか。周りのことが。で、唯一学校の中での、 宿題とか、成績、勉強っていうのが、自分で考えたとおりにいくに、良い成績取りたいなって思ったら、 予想通り、とんとん行くし、なにも、予想外の難しいことが起きるとかないし、 それで、すごい好きでした。安心できるものって感じで」
「(日本語)最初、小学校1年ぐらいまで、東京にほとんどいて、で、急に、小学校1年生の時に、ニューヨークに また、写ったんですよ。そしたら、英語全然わかんなくて、あの、周りが白人ばっかりで、 あたしだけアジア人みたいな学校で。で、急に、机、連れて行かれたら、初日、名前が書いてあるんですけど、四隅に。 思いっきり『HIRAKU UTADA』とか。『あぁ、HIRAKUじゃない』とか思って、その指摘の仕方も英語でわかんなくて、2週間ぐらい『HIRAKU』の まんま、毎日見ながら、どうしようと思ったんですけど。(英語は)5、6歳だと、たぶんすぐ覚えちゃうんですよね。 それで、もう、半年ぐらいで、英語得意になっちゃって、逆に日本語忘れそうになって来ちゃって、 で、その後、東京に小学校5年生ぐらいで、戻ってきて、感じが全然わかんなかったんですよ、やっぱり。でも、 出来ないっていうのが、悔しくて、1年間で、自分でもドリルとかかってきて、5年分の漢字全部、 血のにじむような努力で、覚えました。出来ないのが悔しいんですよ。なんか。 (今は)ちっちゃいころのような、負けず嫌いではなくなったと思うんですけど、出来ないことは嫌ですね」
「(デビューアルバムが大ヒット)そうでしたね。なんだったんでしょうね。 ビッグセールスでしたね。最初は、出したシングルの『Automatic』と『time will tell』から、 両方は言ってるシングルが、チャートで、上がっていったり、出てきたりするのが、 面白くて、ネットで見てたりしてたんですよ。ランキングを。でも、その頃は、まだ、学校にも 電車で、通学できたし、何も、生活に支障がなかったんですけど、さすがに、アルバムが出て、うわーって 売れちゃってからは、もう、どこ行くにも、スタッフの運転で。おっきな車。芸能人乗ってそうっていう感じのバンみたいな。 それで、どこでも行くし、学校も部活ももう時間的に忙しくなって、出来なかったし、マスコミの プレッシャーもすごくなったり、常になんか撮られてる強迫観念とか、家の周りでも撮られたりとか、もう、車乗ってるときに 隣の車から撮られたりとか。いきなり、心の準備がなさ過ぎで。15歳には耐えられなくて、 なんかこう、なんでこんなことしちゃったんだろうってすごく後悔しましたね。最初。 すごい嫌でした。注目されるの大嫌いなんですよ。知らない人たちに、今、 何してるんだろうとか、ホントはどんな人なんだろうとか、いろいろ興味を持たれるのが、 すごい嫌でしたね。毎日、やめたい、やめたい、なんで、こんなことしたんだろうと思って、 生活の変化がすごすぎて、ずっと、泣いてやめたいと思ってましたね。毎日。しばらく。 (お金がたくさん入りました?との問に)だって、若くて、有名になるなんて、良いことないですよ。ほんとに。 今、23歳で有名になって、富と名声をゲットしたぜってなったら、やれ、遊びだ、家買うだ、 車、スポーツカー買うだ、とか、飲みに行くぞとか、使えるけれども、15、6だと、その外の夜遊び何かしても、 不良だとか、マスコミに写真撮られて、嫌な思いするし、 親も割と厳しかったんですよ。そう言うことに関しては、あぶないとか。だから、自由に行動できないし、 目立っちゃうというか。気づかれると大変だから、どこも、自由にいけないとかで、 お金があったって、15、6で何買うっつって、家も買わない、車も買わない、使い道がないじゃないですか。 せいぜい、毎週買ってた『週刊少年ジャンプ』何年分帰るかなみたいな、文房具、たくさん買えるみたいな。 たくさん電池買っておこうかな、みたいな。(失った物が多かった?との問に) 失ったという風には考えないんですけど、あきらめたって感じですね。 あきらめたことが多かった。たとえば、おとこのこと、デートに行ったり出来ないし、 窮屈だなぁって最初ホント、これ、やってけないんじゃないかなぁ、って思いましたね。でも、 かといって、じゃぁ、仕事やめたから、いきなり無名に戻れるかっていったら、 そうでも、ないし、もう、世の出てしまっているものはしょうがないから、 じゃぁ、ここは、私が自分を早送りして、出来るだけ早く、これを受け入れて、 冷静に、泳いでいけば、そのうち、なんか陸に上がるだろうと思って、それで、何となくやってるうちに、慣れてきましたね」
「(好きなものは)砂漠。特に、サハラ砂漠。もう、砂漠フェチで、ヤバイです。こないだテレビで、ハイビジョンで さばく特集みたんですけど、『砂漠~(よだれ)ダラ、ダラ、ダラ』みたいな『あー』って感じですね。 ほんとに、説明できないくらいで、子供の頃から、小学校の時に、エジプトの古代文明の歴史の授業とか習ったときに、 砂漠の写真とか見ても、これだって思って、雑誌で砂漠の写真見るたんびに、切り抜いて、 靴箱の中に、砂漠ワールドを作ってたんですよ。その靴箱、砂漠の写真ばっかり、ばーって貼って、こうやって 見てると、砂漠にいるような気がして、で、サハラ砂漠に絶対行きたいって、ずっと思ってたんです。 (まだいったことは)ないです。なんか、感じるんだろうな、粒子みたいな、好きで。広大な 景色が構成されていて、砂丘の起伏がどれ一つ同じじゃないはずなんだけど、なんだか、ちょっと秩序だってるような、 ちゃんと、パターンが出来てるような感じ。全部、同じ色のもので、ただ陰影だけど、 変化が見える、っていうんですか。濃いオレンジとか、薄いオレンジとか、黒とか、 光と影だけで、出来てる景色っていうか、砂が、常に流動的に流されたりとかして、 移動してるっていうのが、目に見えないような移動?サラサラ移動してる感じが、ツボなんですよ。 辛抱たまらん」
「(卵巣の病気)その時、全然自覚なかったんですね。そっか、じゃぁ、手術。そうかそうか。 なんか、恐いと思う、理由が、ロジックで考えても、わからないから、最近、若い女性に増えてるとか聞いて、 『あ、そうなんですか』で、いい病院だし、何も別に恐いこと内じゃないですか、そんなのって、で、 終わって、前から、予定してたアルバムをプロモーションの仕事を、今までの予定通りにやろうと思っていたら、 途中で、精神的に参っちゃって、ダウンしちゃって、それで、全部キャンセルしなきゃいけなくなって、 損時に、体調不良で、って言えるほどちっちゃなショックじゃなくて、テレビとか、たくさんの人がからむ仕事ばっかりだったんで、 雑誌とか、テレビとか、ラジオとか、簡単な体調不良じゃすまされないから、ちゃんと発表しなきゃって話になったんです。 病名も含めて、全部言おうと。そうしようって、思ったものの、やすんでて、家で、テレビ見てて、 そういう報道とか見てると、『あたしの弱いところが探されてる、嫌だ。見ないで』ってなって、それまで、なにも、辛いことはないみたいに、 こう、なんだろう、世間に対してじゃなくて、友達とか親友に、割といつも『平気平気』って言って田のが、 いきなり、そんなのが、でちゃって、そこで、なんか、普段の自分の持ち方見たいのが、くずしちゃって、立ち直れないと思ったんです。しばらく。 家の中でも、親に、離婚だなんだって言われても、『あ、わかった』みたいな『やだよー』とか 『なんで?』とか言う感じじゃなくて、『うん、わかったよ』っていう感じだったんで、 嫌だったんです。見せるのが。自分が悲しいとか、辛いとかやだって思うことを。手術したときは、 全然辛くないし、自分の感情に何も気づかずに、その時期過ごしちゃって、で、後になって、 ダウンしたときに、急に恐いとか、やだっていう気持ちが出てきちゃって、 泣いちゃったりとかして、で、2、3か月の時間差で、『恐いよ』とか『やだよ』っていう気持ちに気づいたんです。 そこで、全部出して、それまでの鎧みたいな、見せかけの強さだったと思うんですけど、 それじゃなくて、それを奪われてしまって。ほんとの強さ、自信がついたと思います。弱いところを隠すんじゃなくて、 弱いところ見せて、知られても、自分でいられるって言うか、人に見られても平気って、思える気持ちですかね 」
「(紀里谷和明氏の第一印象)ちょっと、かっこつけた人かなって、思いましたね。 でも、すごい、天然なんですよ。タートルネックのセーターを、レストランか何かで、 脱いで、裏っかえしにしたまんまで、また来たんですよ。脱いだときの裏返しのまま、 またきれるんですよ。その状態で、きながら、元に戻せる。私、それに感動しちゃって、 この人にしてよかったって思ったんですけど。一番必要としてたのが、 当時。ほんとに何でもいってくれる相手って言うか、指摘を、まず、気にせず指摘をできる人、あたしに。 で、それが、的確で 紀里谷氏がそうだったので、 私が、どう思うんだろうとか、心配しないで、なんでも、言ってくれる。だから、お互いの仕事面でも、 言い合えるし、『これ、どうかな?』とか『これ、ちょっとそうなんじゃない』とか『いいじゃない』とか、 言えるし、普段の生活でも、『それ、ちょっとまずいんじゃない』とか言ってくれたり」
「若い頃の苦労は買ってでもしろって言うじゃないですか。若いうちに、すごい、らくーな人生を送って、なんも、 難しいこと考える必要なくって、ふわーって生きて、急に社会人になったときとか、 壁にばーんとぶち当たるより、ちっちゃい頃から、これ、耐えらんないかもって思うことを、 経験なんどかすることによって、やっぱり、その先楽だと思いますね。 珍しい経験も出来たし、たくさんの人の意見とか気持ち考える立場に置かれて、 すごい、人間として、成長できたなって思いましたね」
「(元気が出る曲)モーツアルトのレクイエムが一番。元気出るって言ったら、おかしいのかな。 なんか、こう、自分が活性化する感じがします。(曲の)後半ですね」
「(デビュー当時と曲作りが変わったことは?)どうしたい、っていう意志が強くなっちゃって、 今、そんそんやってるのが、『非ジャンル化』ですね。自分の音楽的に、ジャンルに偏りそうになると、 避けるんですよ」
「(どんな時に歌いたくなりますか?)歌いたいな、と思うのは、たいてい、しばらく、静かにしてたときとか、 沈んだ気分だったときに、歌い出すと楽しい、気持ちいいんだって思いますね。 寝てやな事忘れるって人もいるけど、私は、歌うと、スッキリしてて、忘れてます」
「6年ぶりのツアーが7月1日から、全国ツアーやります。はじめて、ライブに対して、すごく意欲的というか、 やりたい、見てもらいたいと思ってるですよ。今回。成長したあたしを見て欲しいなって思いますね。すごく。 ミュージシャンとして、大きく3つに分けられると思うんですけど、しゃべってるときに、人間っぽいときのあたしと、 音楽の中での、歌ったり、歌詞作ったり音楽的なあたしと、あとは、ステージ上の パフォーマンスしてるあたしっていうのが、ミュージシャンとして、あると思うんですけど、 そのうち、パフォーマンスをするあたしだけ、発達が遅れていて、未熟で、他の面だけどんどん成長してたのに、(出遅れスタートみたいに) 納得のいく、パフォーマンスが出来なくて、悔しかったんですよ。ライブの後、悔しい憎々しいみたいな。 今回初めて、自身がある、だから、がんばりますよ」
2006/6/18「トップランナー」NHK教育

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